広辞苑には「難波」「浪速」「浪花」として「大阪市及びその付近の古称」と書かれている。しかし一般には大阪の異称として親しまれている。
語源は「ナ」は魚、「ニワ」は庭、の組み合わせで、波の静かなところで漁業を行う漁獲豊富な大阪湾を指す。
また、難波(なにわ)という地名の由来は古代大阪平野は淀川や大和川から大量の土砂を運んで来てみおつくし(難波江の浅瀬に立てられた標識)がなければ水上交通は成り立たなかった。そんな地形から難儀で広い扇状地を見て難波(なにわ)と呼ばれるようになり、いつしか浪速と呼ばれるようになった。(※語源には諸説あり))
なにわキャスターズが産声を上げたのは1976年(昭和51年)丙辰の年で、当時はアメリカでロッキード事件が発覚、秋には田中角栄前首相が逮捕された。また鹿児島で国内初の五つ子が誕生、巨人の王貞治選手がベーブ・ルースの本塁打記録715号を達成した年で、バブル期前の高度経済成長期であった。
なにわキャスターズはクラブ結成当初から大物釣りに情熱を燃やし、紀東や串本方面への釣行は特に多く、新ポイント開拓にも積極的に取り組んだ。尾鷲、熊野、串本方面へは地形図を片手に渡船利用で磯での投げ釣り(磯投げ)に熱をあげた。
会員はサラリーマンが中心で、月に一度の例会を楽しむが、連休には五島、隠岐、東北、常磐方面の遠征に出かけることもある。近年、クラブ員の高齢化が進み、若返りが早急の課題となり、気分一新、心をリフレッシュ,若い会員の増強に取り組んでいる。